大分の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

大分県大分市歴史探訪
大分市の概要
大分市は、大分県のほぼ中央に位置し、大分県の県庁所在地で、新産業都市でもあります。1963年(昭和38年)3月に、隣接の市町村、鶴崎市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町を合併し、現在にいたります。
また、大分市は、海・山・川の全てに四季を通して豊かな自然とその恵みを楽しむことができる大変貴重なまちです。

大分市のあゆみ
古墳時代の大分では、文化が栄えていた象徴として、県下最大の前方後円墳、亀塚古墳など別府湾南岸沿いに数多くの古墳が創られていました。「壬申の乱」での「大分君恵尺」のものと推定される九州唯一の畿内型終末期古墳、古宮古墳に象徴されるように、東九州地域では、特に文化が栄えていたようです。
奈良時代になると、「豊後国風土記」に記されているように、古代大分は、豊かな生産の地であったようで、全国に建立された64の国分寺の内の3大寺に入る、壮大な七重塔の「豊後国分寺」が建立されました。さらに平安時代では、大分元町石仏、高瀬石仏、曲石仏などに代表される磨崖仏文化が広く展開されるとともに、豊後一の宮が置かれ、神仏混゚タの精神文化が広まっていったようです。
戦国時代に入り、東九州最初の商業地府内町が形成され、いち早くキリスト教を導入しました。また、大分の生まれの「英傑大友宗麟」は、医術、音楽、演劇など、日本で初めての西洋文化の取り入れを努めていました。その後、 江戸時代にでは、東九州最大の商都府内城下町が形成され、独特の地域づくりが展開されました。
現在では、新産業都市として産業の発展、人口急増都市として著しい成長を続けています。また、陸、海の交通の発展に伴い、将来の太平洋国土軸としての発展も期待されています。

大分市の名前の由来
大分の由来は、「豊後国風土記」に記されてある「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきた)と名づくべし」が由来となり、のちに「大分」と書かれるようになったといわれています。しかし、実際の大分の地形は広大ではないことから、「多き田」ということから「大分」に変わったとのいわれもあるようです。


大分市の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 大分市歴史資料館
住所: 〒870-0864
大分県大分市国分960-1 [地図を見る]
電話番号: 097-549-0880
開館時間: 9:00〜17:00(入館は、16:30まで)
休館日: 月曜日(祝日の場合は開館)
祝日の翌日(土・日曜の場合は開館)
年末年始(12/28〜1/4)
入館料: 大人200円(団体150円)
高校生100円(団体50円)
※小中学生は無料、団体は20名以上
※特別展開催中は別途料金となることがあります







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